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更新日:2023年6月5日
戦前の昭和17年の報告書には「石瓦葺きの下に旧のこけら葺きの一部が残っていた」との記述があり、もとはこけら葺きでした。防火性が求められる軍事施設である天守では異例で、現存する天守でこけら葺きのものはありません。
こけら葺きとは長さ20~30cm、幅10cm、厚さ5mm程度の木の坂を重ねて屋根を葺くもので、現代でも神社や寺などにみられます。近年復元された名古屋城本丸御殿もこけら葺きです。
こけら葺きの一部が残っている写真です。
(丸岡城学術調査資料集第1集-昭和15~17年修理工事関係資料-より)
知られざる丸岡城No.1 平成27年度丸岡城調査研究事業成果報告(PDF:1,573KB)
年輪年代法では、標準年輪曲線という年輪のパターンと照合することで、最も外側の年輪年代を明らかにします。標準年輪曲線は樹種や生育地でも異なり、今回の調査では一部板戸の扉板が東北産ヒバ材の標準年輪のパターンと合致しました。
つまり、遠く離れた東北地方から木材を調達していたということです。当時東北地方から木材を輸送するなら当然海路。日本海海運によって三国湊を経て供給されたと考えます。丸岡城の建設や修理工事に際して、材料供給港として三国湊がどのように役割を果たしたのか、今後明らかになることが期待されます。
また、福井県で東北産木材の利用が科学的に証明されたのは今回の調査が初めてです。
天守の床下に保管している古材のほか、現在坂井市の民家に移築されている旧丸岡城不明門についても調査を行いました。
その結果、天守と不明門の部材の伐採年代が近い事がわかりました。
つまり、天守とほぼ同じ時期に不明門が作られたということです。天守と同時期の本丸の門が現存していることが明らかになったことは極めて貴重です。
知られざる丸岡城No.2 自然科学的な調査方法と丸岡城(PDF:1,470KB)
知られざる丸岡城No.3 平成28年度丸岡城調査研究事業成果報告(PDF:936KB)
丸岡城天守は昭和23年に福井地震によって倒壊したこともあって、多くの部材は取り替えられていると思われていました。ところが、柱や梁の詳細な調査を行ったところ、多くの柱は昭和15~17年の修理以前の柱が使われていることがわかりました。地震後の復旧修理にあたっても、古い柱を利用し壊れた継手は「雇いほぞ」と呼ばれる工法で修理されるなど、優れた大工技術で古い部材を最大限利用して修理されたことがわかります。
知られざる丸岡城No.4 昭和15~17年に行われた解体修理の記録から(PDF:1,880KB)
知られざる丸岡城No.5 平成29年丸岡城調査研究事業成果報告(PDF:2,210KB)
年輪年代調査、放射性炭素年代調査、酸素同位体比年輪年代調査の結果、また歴史的な背景から、現在の天守は寛永年間、本多成重の代に整備されたことがわかりました。
知られざる丸岡城No.6 丸岡城天守学術調査成果の概要(PDF:1,553KB)
発掘調査では、絵図によってあらかじめ存在が想定されていた遺構と、絵図には描かれていなかった遺構がみつかっています。隠居曲輪や内堀三の丸側石垣、本丸の建物跡はその存在が絵図でも確認でき、江戸時代の遺構がどれくらい残っているか検証することができます。一方で、天守台南側の石垣や本丸南側の石積遺構は絵図に描かれていない新発見。今後これらの遺構がいつのものか、どういった役割であったか、明らかにしていく必要があります。
知られざる丸岡城No.7 丸岡城跡発掘調査の最新成果 遺物編(PDF:2,291KB)
知られざる丸岡城No.8 丸岡城跡発掘調査の最新成果 遺構編(PDF:1,813KB)
『雑録追加』所収の亀田大隅軍功之覚には、築城間もない頃の丸岡城での戦闘をうかがわせる記述があります。本史料は柴田勝家の家臣、亀田高綱が生涯の軍功をまとめた覚書と考えられます。高綱の軍功として天正6年の丸岡城一番乗りや、丸岡城大手での槍合わせが挙げられています。仮に事実ならば、この年に丸岡城で何らかの戦闘が行われていたことになります。残念ながら、天正年間の史料で裏付けることができず、事実関係は確定できませんが、本史料から、江戸時代には丸岡城での戦闘が伝えられていたことがわかります。
知られざる丸岡城No.9 令和3年度文献調査でわかったこと(PDF:2,347KB)
丸岡城天守では、破損の進行により、昭和15年から17年にかけて大規模な解体修理工事が実施されました。今回発見されたフィルムはこの工事の貴重な映像記録です。正式名称を「郷土文化映画 丸岡城」といい、福井県の写真師・光山光至(みつやま こうし)氏(1908~92)が撮影しました。
丸岡城天守の解体修理工事は、天守や石垣に及ぶ大規模な工事でしたが、江戸時代と同じように、重機を用いずに手作業のみで実施されました。光山氏の映像記録からは、当時の現場作業の様子を知ることができます。
轆轤(ろくろ)の使用(映像記録より)
轆轤を巻き上げ木材を持ち上げる様子
(『法然上人絵伝 巻十九』をトレースして作成)
知られざる丸岡城No.10 昭和15~17年の解体修理の映像記録から(PDF:1,882KB)
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