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更新日:2026年1月19日
三の丸に暮らしていた人ってどんな人?
答え:武士
江戸時代の城下町では、身分ごとに住む場所が決められていました。丸岡城の三の丸には武士身分の人々が暮らしており、古地図を見ると、五角形の内堀の外側に侍屋敷が並んでいることがわかります。明治中頃になると三の丸の侍屋敷の跡地は、織物工場として使われました。
丸岡体育館北側の道路を現代図と古地図で見比べると、江戸時代の内堀の形は現代の道路に引き継がれ、今もほとんど変わっていないことが確認できます。
丸岡城下町再生古地図アプリを使って歩いてみると
現代図では…

再生古地図では…

二の丸(北側)
現在の丸岡体育館と平章小学校のグラウンドあたりは、かつて二の丸があった場所とされています。二の丸では藩主が生活したり政治を執っていたりしていたと考えられており、もしかすると政務に携わりながら、時には和歌を詠んだり茶の湯を楽しんだりしていたかもしれないと、想像がふくらみます。
「丸岡城下町再生古地図」を使ったまち歩きがおすすめ!
丸岡城下町の歴史の変遷をもっと詳しく、そしてリアルに感じたい方は、「丸岡城下町再生古地図アプリ」を使ったまち歩きをぜひおすすめします。
古地図と現在の地図を重ね合わせることで、目の前の風景がまったく違って見えてくるかもしれません。
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